公正取引委員会の「「デジタル・プラットフォーマーと個人情報等を提供する消費者との取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方(案)」に対する意見募集」に対し、JILIS個人情報保護法研究タスクフォースから、以下の意見を提出しました。なお、本意見は、独占禁止法上の考え方としての方向性に賛否を述べたものではなく、個人情報保護法制に関係する記載部分について改善点を指摘したものです。
【PDF版】
2019年9月30日
一般財団法人情報法制研究所 個人情報保護法タスクフォース
その他賛同者(板倉陽一郎、奥村裕一、江口清貴、加藤尚徳、鈴木正朝、鳥海不二夫、
高木浩光、玉井克哉、長田三紀、丸橋透、山本一郎、湯淺墾道)
【該当箇所】2頁※部の「個人情報等」の定義
【意見】
考え方案は、「「個人情報等」とは、個人情報及び個人情報以外の情報をいう」としているが、この文では、「個人情報以外の情報」の句が個人に関係しないあらゆる情報まで含む意味になっており、文全体として無限定の全情報を対象とすることになってしまっている。この文は「個人情報及び個人情報以外の個人に関する情報をいう」などに改めるべきである。あるいは別案として、「個人情報その他の個人に関する情報をいう」との文も考えられる。
【理由】
考え方案が、単に対象を「個人情報」とせず「個人情報等」まで広げる趣旨は、我が国の個人情報保護法制における「個人情報」定義が、従前、とかく狭く解釈される傾向があり、例えば、必ずしも実名の登録を要しないGoogleアカウントに紐付けて記録される情報について、個人情報に該当しないことになりかねないことから、GAFA等のデジタル・プラットフォーマーを想定した本件考え方案においては、何らかの形でそうした情報も含める必要があるとの事情によるものと推察する。
そのような趣旨であれば、個人に関係しないあらゆる情報まで広げる必要はないのであるから、「個人情報及び個人情報以外の個人に関する情報をいう」あるいは「個人情報その他の個人に関する情報をいう」などと記載すれば足りるはずである。
「個人に関する情報」とは、個人情報保護法第2条第1項の「個人情報」定義の条文中で用いられている語句であり、ある一人の個人についての情報として記録されるレコードを指している。同法は、そのような「個人に関する情報」のうち、「当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等……により特定の個人を識別することができるもの(……ものを含む。)」に限定して「個人情報」と定義していることから、「特定の」の解釈がはっきりしないことなどが原因となって、前記のようにとかく狭く解釈されがちであることから、この要件を外した裸の「個人に関する情報」を含めれば、趣旨に沿った対象とすることができるはずである。
なお、ここで言う「個人に関する情報」の「個人」とは、英語で言えば「an individual」のことであり(EUのGDPRや、OECDのプライバシーガイドラインでも同様)、抽象名詞としての「個人」のことではない。したがって、例えば「島根県民数」といった統計量に集計された情報は、「個人に関する情報」に当たらない(当たるとの誤解も巷の一部の解説書には見受けられるため注意が必要)ものである。本件考え方は、統計量に集計された情報まで対象に含める趣旨ではないと推察するので、「個人に関する情報」の語句が趣旨に照らして必要かつ十分であると考える。
また、正確には、個人情報保護法の「個人情報」定義は「生存する個人」に関するものに限定していることから、同様に本件考え方においても限る必要があるならば、「個人情報及び個人情報以外の生存する個人に関する情報をいう」あるいは「個人情報その他の生存する個人に関する情報をいう」と改めることも考えられる。
【該当箇所】2、4、5、6頁の「対価」、2頁 の「経済的価値」、5頁の「経済上の利益」に係る記載
【意見】
考え方案は、個人情報それ自体に「経済的価値」を認め、その提供が「経済上の利益」の提供となることを前提とし、消費者においても自身の個人情報がサービスを受けることへの「対価」として認識していることを前提としているが、個人情報保護法が個人情報を保護する理由は、個人情報に経済的価値があることを前提としておらず(後述の【理由】参照)、「個人の人格尊重の理念の下に」(同法第3条)「個人の権利利益を保護することを目的」(同法第1条)としたものである。考え方案のこれらの記載は、個人情報が法により保護される理由が「経済的価値」にあるとの誤解を増長させるものであり、国民に個人情報保護法の目的を見失わせ、同法の運用をさらなる混乱に陥らせる危険がある。同様の混乱と問題点の指摘は、EUにおいてもなされており、2015年に欧州委員会が提案した「デジタルコンテンツ供給契約指令案」において「data as counter-performance」(対価としての個人データ)との語が用いられていたことに対し、EDPS(欧州データ保護監督機関)がこれを避けるよう批判して、「counter-performance」の語が削除された経緯(後述の【理由】参照)がある。もし、消費者が自身の個人情報の提供を「対価」として捉えるようになれば、個人情報の利活用が阻害されることにもなる(後述の【理由】参照)ので、個人情報の利活用を促進すべきとする経済産業省その他の政府の方針にも矛盾する自滅的な考え方である。個人情報がデジタル・プラットフォーマーにおいて「経済上の利益」となることは事実であるが、個人情報に経済的価値を見出すのはデジタル・プラットフォーマー側の都合によるものにすぎないのであるから、個人情報それ自体に経済的価値を認めるのではなく、デジタル・プラットフォーマーにおいて片面的に「経済上の利益」が結果的に生ずることに着目し、それを条件として消費者がサービスを享受することを「取引」に該当するものとして整理すれば、本件考え方の目的に足りるはずである。したがって、これらの「対価」「経済的価値」「経済上の利益」に係る記載は次のように改めるべきである。①「経済的価値」「経済上の利益」については、個人情報それ自体に内在するものと誤解させる記載を避け、デジタル・プラットフォーマー側において結果的に生ずるものといった記述に改めること。②消費者の認識として個人情報が「対価」となるかのような記載を避けるため、「対価」の語を用いないようにし、「消費者が個人情報の提供を条件としてサービスを享受する場合」といった記述に改めること。
【理由】
考え方案の問題となる記載は以下の部分であり、それぞれ例えば以下のように改めるべきである。
個人情報を保護する理由として個人情報に経済的価値があることを前提としていないことは、個人情報漏えい事案についての人格権侵害を理由とする損害賠償請求の裁判例(最判平成15年9月12日民集57巻8号973頁,最判平成29年10月23日判時2351号7頁参照)が、財産的損害の問題とせず、精神的損害(慰謝料)のみの問題としていることからも窺える。
EUでの同様の混乱(EDPSによる指摘とその後の経過)とは、以下のものである。2015年12月9日に欧州委員会が提案した「Proposal for a DIRECTIVE OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL on certain aspects concerning contracts for the supply of digital content」に対し、EDPSが示した「Opinion 4/2017 on the Proposal for a Directive on certain aspects concerning contracts for the supply of digital content」は、原提案が「the use of data (including personal data) as a “counter-performance other than money”」との概念を用いていることを問題視し、「The EDPS has serious doubts about the use of the notion of counter-performance by the Proposal in the context of the relationships between the consumers and the suppliers.」と批判して理由をいくつか挙げ、「the EDPS considers that the term “data as a counter-performance” should be avoided」として代替案を示していた。これに対し、欧州議会の対応は「The report deletes the term 'counter-performance', criticised by the EDPS, and replaces it with the term 'condition'.」というものであった(http://www.europarl.europa.eu/RegData/etudes/BRIE/2019/635601/EPRS_BRI(2019)635601_EN.pdf)。これに対しての欧州理事会の見解は、「a rewording of the text removes references to personal data being treated as counter-performance, in order to comply with the EDPS opinion」というものであった。このように、EDPSの指摘が基本的に受け入れられて原案は修正され、この指令案は2019年5月20日に成立した。
個人情報(個人データ)の保護を明確に基本権として位置付けるEUと我が国の前提を完全に同一視することはできないにしても、消費者が自身の個人情報の提供を「対価」として捉えるようになると、個人情報の利活用が阻害されることになるという、ビッグデータ利活用に際しての具体的な不都合もある。これは次の理由からである。
個人情報保護委員会のガイドラインQ& AのQ2-5は、「統計データへの加工を行うこと自体を利用目的とする必要はありません」としているように、本来目的で保有している個人情報を元に、複数の個人の個人情報を統計量に集計した「統計データ」を作成して利用することは、そもそも「個人情報の利用」に当たらず、本来目的によらず自由に利用することができるものである。個人情報のビッグデータとしての利活用の多くはそのような利用形態であり、本来それは制限されていないのである。EUのGDPRにおいても、第5条(Principles relating to processing of personal data)の第1項(b)号において、「further processing for archiving …… statistical purposes …… shall not be considered to be incompatible with the initial purposes」としており同様である。このようなルールになっているのは、個人情報それ自体に経済的価値を見いだしているわけではないからこそである。
我が国においてこのことがあまり理解されておらず、そうした利活用が進んでいない実態がある。その状況で、消費者が自身の個人情報に「経済的価値」を見いだし、その提供に「対価」性を認識するようになれば、そうした「統計データ」としてのビッグデータ利活用に対してまで消費者が対価を求めるようになり、利活用が阻害される危険がある。具体例で言えば、2013年に問題となったJR東日本のSuica乗降履歴の日立製作所への本人同意なき販売の事案においてもその兆候が見られた。この事案の問題の核心は、JR東日本から日立製作所へ第三者提供が行われたという個人情報保護法のルール(第23条)に違反したことにあり、もしJR東日本が日立製作所へ個人情報(乗降履歴)の分析を委託して、分析結果である統計データをJR東日本が自ら販売するのであれば、適法だったのであり、問題のない事業であった。しかし、その法律上の理由が国民に正しく伝えられなかった結果、消費者からは、「自分の情報が勝手に金儲けに使われるのは嫌だ」とか「騒ぎになっているのだから対価をもらって当然だろう」といった声が出ていた。
今回、個人情報を「対価」「経済的価値」として捉えるような考え方を政府が広めるようなことになれば、このSuica事案のように、消費者はますます自身の個人情報の提供・利用に対価を求める(そうでなければ自身の個人情報を提供しない)ようになって、ビッグデータ利活用が阻害されてしまう。それを避けるために、そのような誤った理解が生じないよう、本件考え方の記載ぶりを改める必要がある。
我が国の個人情報保護法制がEUのGDPR同様の理念に基づいて設計されているかは必ずしも定かではないが、我が国もEDPSの上記の指摘と同様の考え方に基づかなければ、GDPRによる我が国の十分性認定も取り消しの危機に陥るおそれもあろう。我が国の個人情報保護法制の理念の確認(個人情報がそれ自体が「経済的価値」を持ち「対価」となるものではないことの確認)も合わせてこの際行うべきである。
【該当箇所】4頁以下で挙げられている「濫用となる行為類型」の各想定例
【意見】
考え方案は、「優越的地位の濫用となる行為類型」においていくつかの「想定例」を列挙しているが、そこに例示されている個人情報の具体的な内容が、いずれの想定例を見ても、「消費者の性別・職業に関する情報」「消費者の氏名、メールアドレス、決済情報等」などと、いわゆるデモグラフィック情報に限って例示されており、ウェブサイトの閲覧履歴といった行動履歴の情報についての言及がない。「個人情報をターゲッティング広告に利用することにやむを得ず同意」という記載もあるところ、通常、ターゲティング広告には行動履歴も用いられるのであるから、行動履歴も例示に含めて記載するべきである。
【理由】
我が国の個人情報保護法制に対しては、従前より、国民の誤解が多く見られてきた。氏名・生年月日・性別・住所の4情報や電話番号・メールアドレス等の連絡先情報だけが個人情報であるとの誤解が後を絶たない。そこまで極端でなくとも、いわゆるデモグラフィック情報のみが個人情報であって、行動履歴は個人情報でないとの誤解もあるようである。本年8月より問題となっている就活支援サイト「リクナビ」の「内定辞退予測」の事案においても、不適切に利用されたのはウェブサイトの閲覧履歴であったが、運営会社にはこれが個人情報に該当しないとの誤解があった様子もある。本件考え方案は、「優越的地位の濫用となる行為類型」として例示した「想定例」において、いわゆるデモグラフィック情報に限って例示されている様子があることから、このままの書きぶりでは、デモグラフィック情報のみが個人情報であるとの国民の誤解を増長してしまう危険がある。したがって、そうした誤解を招かないように、想定例の例示に、ウェブサイトの閲覧履歴といった行動履歴の情報についての言及を含めるべきである。
以上